9世紀後半 「中国」 6個のサイコロを用いて勝敗を競う「競争ゲーム」の「葉子」盛行
10世紀後半「中国」 「葉格戯」盛行
1120年 「中国」 微宗(位1100-25)に骨牌(=宣和牌)献上される
12世紀頃 「中国」 宗代(960-1279)中期に「葉子」消滅
15世紀後半「中国」 この頃、38枚の札を用いる「闘葉子」行われる
16世紀〜
17世紀前半「中国」 明万暦年間(1572-1620)、「馬掉」最盛。汪道毘、馬掉から派生した48枚札を用いる紙牌の文献『敷錢葉譜』著す
1610年前後「中国」 潘之恒、馬掉の総合的文献『葉子譜』および馬掉のうち30枚の札を用いる遊戯に関する文献『續葉子譜』著す
馮夢龍(筆名・龍子猶)、馬掉を生理し、『馬吊牌經(=牌經十三篇)』『馬吊脚例』著す
1650年前後「中国」 陳洪綬・画の『水滸葉子』、および『敷錢葉譜』を再現した『博古葉子』刊行される
17世紀後半〜
18世紀前半「中国」 清・康煕年間(1661-1722)、60枚の札を用いる「游湖」行われる
1791年 「日本」 房総で馬吊紙牌が見つかる
18世紀中期「中国」 清・乾隆年間(1735-95)、游湖が馬掉をしのぐ大流行120枚もしくは150枚に拡張された「石並和牌」行われる
19世紀半ば過ぎ「中国」 この頃、「麻雀」成立。太平天国(1851-64)の戦乱中、流行したと伝えられる。陳政鑰(字は魚門)が考案したと伝えられる
1893年 「米国」 人類学者、スキュアート・キューリン、論文で麻雀紹介
1909年 「日本」 教師・名川彦作、中国より麻雀牌を持ち帰る。夏目漱石、朝日新聞連載の「満韓ところゞ」で麻雀を見たことを記述
1917年 「日本」 消閑生、上海にて『麻雀詳解』著す。現在判明している最初の邦文麻雀解説書
1919年 「米国」 J・P・バブコック、補字入り麻雀骨牌のアメリカ向け輸出を始める
1920年 「米国」 バブコック、教訓本『バブコックの麻雀規則(通称・赤本)』を出版、麻雀牌セットに添付する
1923年 「米国」 アメリカ全土で麻雀が大流行
「英国」 チャド・バレー社が麻雀解説本を出版。イギリスはじめヨーロッパ各国でも麻雀が流行
1924年 「日本」 平山三郎、東京・芝に麻雀荘第1号の「南々倶楽部」開設。昭和2年、銀座に「南山荘」開く。日本国内初めての麻雀書、林茂光『支那骨牌・麻雀』が刊行される 「米国」 標準規則策定委員会により「全米麻雀標準規則」制定
1929年 「日本」 「日本麻雀連盟」正式発足。「関西麻雀連盟」設立。「日本麻雀標準規定」が制定される
1929年 「日本」 文芸春秋社(代表 菊地 寛)から月刊「麻雀春秋」麻雀専門誌発行される
1931年 「日本」 この頃から「放銃一家包」のルールが流行り始める
1937年 「米国」 「ナショナル麻雀連盟」(NMJL)設立
1947年 「日本」 この頃現行リーチが「途中リーチ」の呼び方で流行し始める
1953年 「日本」 報知新聞により「報知ルール」まとまる
1965年 「日本」 この頃、現行ルールがほぼ定着
1969年 「日本」 雑誌『週刊大衆』に、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』連載始まる
1970年 「日本」 村石利夫「日本麻雀道連盟」設立、会長就任
1972年 「日本」 株式会社竹書房 (代表 野口 恭一郎)から本格麻雀雑誌月刊『近代麻雀』が創刊される
1977年 「英国」 「イギリス麻雀協会」(BMA)設立
1987年 「伊国」 「イタリア麻雀協会」(FIMG)設立
1994年 「日本」 石本洋一「日本麻雀連盟」理事長就任
1998年 「中国」 中国国家体育総局のもとで麻雀がスポーツとして正式に公認される
1998年 「中国・日本」 中国国家体育総局認定の新ルールにより、北京で世界大会が行われ、日本代表選手の中で東京チーム(井出、高見沢、張、原)が優勝
1999年 「日本」 野口恭一郎により千葉県夷隅群岬町に世界で初めての「麻雀博物館」開館する。同時に「麻雀博物館大図録」発行される
・・・世界麻雀国際公式統一ルールより抜粋


